浮気が発覚した時に陥る修羅場
浮気が見つかってしまったときに何が起こる?
浮気が発覚はそく修羅場。
しかし浮気を見たり経験したことがなければ、浮気が発覚した時に実際に何が起こるかは、なかなか想像できないと思います。
平和が一番です。絶対に体験したくないのに巻き込まれる修羅場、それは愛情のなせる業なのかもしれません。
浮気が発覚した時に起こるのは離婚や慰謝料の支払いだけではないのです。
今回は、愛情あればこそ起こる、浮気がバレてしまった時に起こるいくつかの事件を紹介していきます。
離婚どころか、浮気相手にも別れを告げられる
世の中の人にはさまざまな考え方の人がおり、浮気が一度でもあったら離婚、という人もいれば、一度目は許すが、二度目はない、という意見の人もいます。
浮気が発覚したら、浮気相手が本当に単なる遊び相手だったとしても、パートナーからすればそのような言い訳は信用出来ないのです。
どうして信用出来ないのかは、自分の立場に立って考えると分かることでしょう。遊び相手ではなく、肉体関係を持っていた、というような場合や、浮気相手に本気だった、というような場合、パートナーの怒りは計り知れません。
謝り倒せば許してくれるかもしれませんが、「愛情と憎悪は表裏一体」という言い回しがあるように、浮気については愛情という強い正の感情が逆転して、憎悪という強い負の感情に変化する可能性が非常に高いのです。
愛情というのは人間のアイデンティティと強く結びついているわけですから、浮気の影響は大きいのです。
こういうわけで、夫婦関係を回復するという場合は、決して多いとは言えず、大抵は離婚することになります。
浮気しても謝り倒せばやり直せるから別にいいや、という安易な考えが夫婦や家族を破滅に追いやります。
また、浮気がバレたら、そのときは浮気相手と駆け落ち、というような考え方を持っている人もいることでしょうが、それは甘いと言わざるを得ません。
なぜなら、その浮気相手が本気であるかどうかはまた別問題だからです。浮気相手はただ、浮気という行為の刺激を味わっているだけで、浮気する側と浮気相手のニーズが互いに違う可能性もあります。
男女の関係でよくあることですが、男性側は女性が恋愛対象であるという認識を持っている状態に対して、女性側はなんとも思っておらず、ただの友達、というような認識の違いがある、いわゆる「友達止まりの男」ということに似ています。
夫婦関係が上手くいっていない時、誘惑に負けて浮気をしてしまい、「いまのパートナーと暮らすよりも、浮気相手と暮らすほうが幸せになれるかも」という考えを抱くことがありますが、これは幻想ではないのでしょうか?
「隣の芝生は青く見える」といいます。
社会的責任を追及される
浮気が発覚し、そのとき、浮気している既婚者とその相手が肉体関係を持っていたことが立証されたとします。
慰謝料請求の修羅場
「浮気が原因で家庭崩壊したケース」または、浮気相手については「注意すれば浮気している既婚者が既婚者であることに気づくことができたケース」という場合は、慰謝料の請求をすることができます。
慰謝料の金額は明確な決まりはないのですが、たいてい50万円以上から100万円単位で請求されることもあります。浮気された側に子供がいたり、浮気の期間によって金額は左右されます。特にW不倫と呼ばれる場合、双方に家庭がありより多くの被害が及ぶため慰謝料は高額になりやすいです。慰謝料を請求されれば浮気さえしなければ車が買えた、というような事態になりかねません。
慰謝料請求の裁判は、ケースによっては虚偽も含めお互いに非を認めずお互いに相手を否定しあう修羅場となりやすいです。
勤務先での修羅場
また、浮気が発覚すると、勤めている会社から懲戒処分を受ける可能性もあります。
特に社内での浮気や、取引先の人との浮気はその対象になる可能性が高いといえます。ただし、恋愛は原則的に私生活上の行為であるので、浮気だけで懲戒処分になる、というより、企業秩序が乱れたり、業務上の支障が発生した時に浮気が懲戒理由になることのほうが多いでしょう。懲戒処分のうち解雇は最も重たい処分で、浮気以外にも様々な要因が積み重なった時にその対象となるという場合が大半です。
ただし、警察官や法律関係の職業など、高い倫理性の求められる職業ではこれらの原則とは違う可能性があります。
更に、懲戒処分が下されなくとも、事実上の懲戒処分、閑職への左遷や社内での立場の変容というものもあります。これを不当だとして争う事も出来ますが、そうすればその理由は全社に知れ渡ってしまいます。
このように、直接的な社会的制裁を受けなくとも、勤め先に浮気が知られているのなら人事評価には確実に響いて出世は厳しくなり、気まずい雰囲気が流れることになるでしょう。
社会には明文化されていない様々なルールがあります。中には悪弊ある慣習もありますが、それだけではありません。そのルールを破り、そうまでして修羅場を、修羅の道を進みたいでしょうか。
その結果、パートナーや浮気相手も失い、社会的地位、いままでの仕事での努力もすべて水泡に帰す、というわけです。
事件に発展してしまう
よくありがちですが、浮気されたパートナーが浮気相手に復讐をして傷害事件に発展したり、ひどい時は殺人事件に発展してしまうことがあるというのは、みなさんテレビドラマなどでもお馴染みの光景でしょう。
海外のテレビ番組に旦那の浮気調査をして、浮気が発覚した時、奥さんが浮気現場に乗り込む、という番組がありますが、そこでも殴り合いになったりするケースがありました。夕方に放送されている映像紹介系の番組でよく扱われている動画などです。
しかし、こうしたことがテレビの中だけのことではないのです。
警察にお勤めの方ならよくご存じかと思いますが、浮気相手の配偶者が探偵を雇い、すべてを確かめた上でその相手方に乗り込み修羅場となることや、SNSなどを通じてあり得ない噂を流されたりするなんて言う事は大人になってからも起こっているのです。
先にも述べたように「愛情と憎悪は表裏一体」だといいます。
浮気の発覚で待ち受ける修羅場のまとめ
あるい一度の浮気という過ちで、家族、友人、パートナー、浮気相手、社会的地位、信頼、というあまりにも多くのものを失ってしまうことがあります。
刺激が欲しいから浮気する、という人がいますが、ドラマの中だけにとどめておくのがよいのではないでしょうか。
また、刺激を与えてくれるのは浮気だけではないでしょう。何か新しいことに挑戦してみることでつまらない日々が変わる可能性だってあります。
パートナーが物足りない、という人もいますが、それは贅沢に慣れてしまったからかもしれませんね。繰り返しになりますが「隣の芝生は青く見える」といいます。ありふれた日々の大切さを考えてみることが重要なのではないでしょうか。
当たり前な日々の当たり前の存在を当たり前の物だと思う事なかれ、と。
浮気調査について詳しく知りたい方・無料相談する前に確認したい方
人は感情を持っているからこそ魅力的なのです。
喜怒哀楽といったものだけでなく、例えば、愛情ひとつとっても様々な表現がそこにはあります。そうした延長線上にある結婚生活とは、共に過ごす時の中でそのひとつひとつを学び知り、愛で行く時間であるとも言えるのでしょう。
愛情とは重たいものではありません。
もし、重く感じる誰かの愛情があるのならば、あなたはそれを恐らく当たり前のものだと感じているからではないでしょうか。
当たり前に受けられる愛情がどれだけ大切なものか、それは浮気が発覚したりなど、諍いや喧嘩をしたときによくわかります。愛情の深さだけその怒りは深く大きいものです。その後に残る悲しみもまた深いでしょう。
喧嘩をすることは悪いことではありません。しかし、浮気が発覚したあとも拗れ続ける蟠りの残る関係は誰にも望ましいものではありません。
浮気は、それをしてしまうきっかけがあります。それと同様に浮気を止めるきっかけも必要なのです。第三者として探偵は、多くの方のその役に与っております。