幸せな家族を築く秘訣
幸せな家庭を築く事は、私たち誰もの願いです。
誰もが夢見る、幸せな家庭を築くためには、幸せや、幸せな家庭とは何かを知らなければなりません。当たり前ですが、幸せとは不幸せではない事です。しかし、願わないことのない幸せな日々に、不幸は実在します。幸せな家庭のために、私たちはそこから学ぶ事があるはずです。ですから、幸せな家庭を築くためには、不幸せの形を知っておくことも大切だと言えるのではないでしょうか。
今回は、幸せな家庭を築く秘訣を、不幸せな家族とは何かという事から掘り起こし、お金をかけず誰でもすぐに始められる、本当に大切な幸せな家族の秘訣とその方法をご紹介していきます。
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幸せの家族と不幸せな家族
この有名な言葉を残した、あの独特の風貌をもったトルストイは、 1828年、ロシア帝国トゥーラ郊外の領地ヤースナヤ・ポリャーナの伯爵家の御曹司として生まれました。「幸せな家族はどれもみな同じように見えるが、不幸な家族にはそれぞれに不幸の形がある」
アンナ・カレーニナ(レフ・トルストイ)
当時は農奴制が敷かれており、領主は絶対的な権力を持っていました。その御曹司である青年時代のトルストイは、人一倍の精力の持主であった事は有名で、領地のヤースナヤ・ポーリャからモスクワまでの道筋にトルストイの子どもが200人ほども産み落とされたと言われています。その異常な光景の背景には、伯爵家の御曹司であるトルストイの要求を拒めるような農奴の娘はいなかった、という事実が存在しているのです。
幸せへの憧れ
彼トルストイは、2歳で母を亡くし、9歳で父を亡くし、10歳で祖母を亡くし、その後暫くして後見人となった父の妹も亡くし、13歳にて故郷から1000kmも離れた叔母宅に預けられることになりました。さらに、学生時代は社交や遊興に耽り大学を中退、そのころに「ジャン=ジャック・ルソー」を耽読していたそうです。その後19歳の時に故郷のヤースナヤ・ポリャーナを相続することになりました。そして、34歳になって「世界三大悪妻」と知られている16歳年下の「ソフィア・トルスタヤ」を妻に迎えます。(トルストイは同年代の女子にはまったくモテなかったそうです)愛情あふれる幼年時代だとは、決して言えません。
恐らく彼は、幸せな家庭を築くことを、生涯に亘って夢見ていたのではないでしょうか。
不幸の形は伝播する
幼い頃に十分な愛情を得られたなかったトルストイにとって、幸せな家庭は、さぞかし魅力的に映ったことでしょう。そしてその心の隙間を埋めるかのようにして取った若かりし頃の振る舞いは、また別の不幸の形をもたらさなかったと言えるのでしょうか。その200人のすべての人生を追う事はできません。しかしそれでも、そのすべての方が、不幸せな人生を歩んだと信じることもまたできません。不幸の形には原因があります。しかし、幸せの形にも原因があるのです。ここでは、幸せな家庭を築くための方法を、不幸や幸せの形と同じようにひとつの原因として扱い、紹介させていただきます。
幸せな家庭の形は、家族それぞれに異なる
それぞれの幸せな家族には、とても大事にしていることがあります。それは、家族を大切にしているという事です。もしかしたら折り合いの悪い日があるかもしれません。振り返れば後悔を覚える事もあるかもしれません。しかしそれは誰にでも覚えのあることでしょう。
大切なのは、その気持ちを相手に伝えることです。その過程で、ひとつひとつを確かめ合いながらお互いを理解していくことです。伝えられない思いは、何も変えることはありません。しかし、思いを伝えることで未来は変えてゆくことができるのです。
家族という関係
家庭とは、私たちの最も身近にあり、最も幸せを享受しうる人間関係のひとつです。皆さんにとって、家庭での思い出はどのようなものがあるでしょうか。
親に小言を言われ続けてきた思い出、腹立たしい兄弟と喧嘩に明け暮れた思い出、あの夏の日をどこかに出かけた思い出など、人それぞれにその思い出は異なるはずです。なかには、誰かの家庭の光景に、憧れを抱いたような方もいらっしゃるかもしれません。
思い出は、感情の揺らいだところに残されるのです。
すべての思い出にタグをつける
例えば、その思い出にタグをつけるとしたら「良い思い出」と「良くない思い出」のどちらが多くなるでしょうか。もしかすると、悪い思い出を思い出させてしまったかもしれませんね。しかし、きっと誰もが、そんな思い出なんか持ちたくないと思っているはずなのに、そうした私たちの思い出には、なぜ「良い思い出」と「思い出したくもない思い出」が同居することとなっているのでしょうか。
今日という日を、思い出という共通項に変える
家庭は、気を許すことができる私的空間と言えるでしょう。気兼ねすることなく自分の個性を出せるスペースです。しかしそうは言っても、家族に対し配慮を欠いたり、傍若無人に振舞う事が許されているわけではありません。「おはよう」から始まる今日という一日は、二度と繰り返すことはできません。どのように過ごそうとも、皆に等しく流れていくその時間は、しかし、忘れられない思い出に変えることもできるのです。
仏教では「四苦八苦」という言葉があります。ラテン語では「メメント・モリ」という言葉があります。
これらから学べることは、私たちの誰もには、それぞれが抱える苦しみや辛さがあり、また終わりがあるからこそ、私たちは今を大事にしなければならないという事ではないでしょうか。
なんら特別でない今を特別な思い出に変えていく事、幸せとは、何を持っているかで決まるのではなく、ただひとつ、その時の考え方で決まるのです。
幸せな家庭を築くための7つの方法
まず、人は、ひとりひとりが異なる個人です。個人はそれぞれに個性を持ちます。その個性を尊重するという事が、幸せな家庭を築くためにも、その家族の空間に横たわる価値観としてなくてはなりません。結婚をするまでにも沢山の事を話されてきたと思いますが、「理想の家族や、理想の夫・理想の妻・理想の子育て」についてや、もしストレスになるようなことがあったらどうするか、それから、お金への考え方や家族との付き合い方、将来の夢については、もう話されたでしょうか。
これらの話し合いは、衝突や葛藤を防ぐために、早い段階でしておいた方が良いことです。夫婦は2人でひとつです。一方が不幸せなら、家族は幸せとは言えません。
以下をテーマとして、幸せな家庭を築くための方法を紹介していきます。
- 多様性
さまざまな背景やさまざまな考え方があり、性質の異なるものが存在するということを理解すること。 - 寛容
誤りを認め、また誤りを許し、多面的で多様な考え方を受け入れ、先へ進んでいくということ。 - 中庸
たとえ右が正しく、左が間違っているということが常識であったとしても、いずれかに偏った考えを持たないということ。 - 尊敬
相手と対等な立場でありながら、自分にはない美点を相手の中に見出し、それを大切に考える事ができるということ。 - 共通項
趣味や価値観など、共に共感できる物事であり、共通の考え方をどれだけ持つことができているかということ。
幸せの第一歩、相手を許し受け入る
マナーとは価値観のこと。
家庭というパーソナルな空間では、些細な考えや行為の違いが目に付くことがあります。たとえば、食事をするときに「くちゃくちゃ音を立てるな」「食べ物を口に入れたまま喋るな」「器の置き方が荒い」など、そのような言葉を聞かされて育った方も多いのではないでしょうか。
ですから、自分の子どもにも、食卓ではそう厳しく教えることが正しいと考えてしまいます。当然、空気は重くなります。会話は咲きません。子どもは「怒られないように気を付けよう」「怒られるからそれをしなければならない」ということを学びます。
しかしどうでしょうか。食事をする時間は、家族皆が集まる貴重な時間です。今日一日の面白かったことや、またふてくされた出来事などを話して、その話の中で、お互いの価値観を確かめ合う時間と言えるのではないでしょうか。
しかしもしかすると、テレビなどで目にする大家族が、てんやわんやしながら食卓を囲む風景に苦い顔を向けたりしてはいないでしょうか。もしそうだとすれば、それはあなたが「マナー」という名のもと、不寛容を刷り込まれているだけかもしれません。
マナーとは、そのような所作を通して、自らが進んで身に付けてゆく思い遣りの行動です。マナーの無いことをすること自体が問題ではなく、相手への配慮や寛容といった事を身に付けていないことが問題なのです。
家族の時間を叱責に変えることは、配慮あることでしょうか。
マナーとは、口やかましくいうのではなく、その背後にある「お互いが気持ちよく時間を送るための思い遣り」という考え方を理解してもらうことが大切です。
相手の良いところを数えよう
あなたはどんな人かは、あなたが、人やまた物事のどんなところに着目するかで、わかります。たとえば同じ人を指して、ある人は「やることもやらずにぐうたらしていて使えない奴」と言い、またある人は「のんびりマイペースで寛げる人」と言います。
Googleでは「Don’t be evil(邪悪になるな)」という行動規範があります。急成長と共に社員数が増加する中、その組織運営上、最大のスロ―ガンとして考えられたのが、その「意地悪をしない」というネガティブな要素を取り除くことだったのです。
これは、否定的な考えを取り除くことは、肯定的な言葉をかけることに勝るという事です。
確かに、誰かへの愚痴や非難が状態化すれば、無意識にもその空間を次第に歪めていきます。『大奥』などの駆け引きからも分かりますが、ネガティブな言葉が人間関係に垣根を作り、やがて派閥を作っていくことになります。
お互いに別々の個人ですから、気になる言動もあるでしょう。しかし、それは伏せて、良いところを探してみてはいかがでしょうか。
たった1人のあなたの配偶者です。
相手を受け入れ、それを理解で埋めた先に、幸せな関係が構築されていくのではないでしょうか。
相手を尊敬しよう
私たちは必ず悪い面を持ちます。しかし、それと同時に必ず良い面を持っています。これは、状況によって私たちの「一面」への評価が変わるだけであって、私たちは変わらず、同じ行為を示しているだけなのです。「細かいということは綺麗好き」「うるさいけれど筋が通っている」「適当だけど情には篤い」など、もし相手の言動が気に障るような事であったら、直接的に抱いた反感の、その先の事を考えてみましょう。
キーワードは「~ということは○○」という否定ではなく、「~だから○○」という肯定です。
もし、何も知らない相手であれば、その長所を見つけることはできないでしょう。
しかし、共に好意を持って過ごした相手であれば、きっと、すぐに暖かな気持ちを迎えられるはずです。相手が怒っていれば、その理由を知ることだってできるでしょう。
大雑把な方や静かな方、口の悪い方、優しい方など、私たちはいろんな方を愛することも、また批判することもできます。その自由が、私たちには与えられているのです。
しっかりと言葉で伝えよう
言葉は、思いを伝えるために作られたのです。思いを伝えることが大切だからこそ、言葉は、私たちに伝えられてきたのです。“人は幸せだから感謝するのではなく、感謝をすることが人を幸せにする”
これは、ベネディクト会僧侶の「デヴィット・スタインドル・ラスト」氏が『TED』で行ったスピーチの主題です。
ラスト氏は、感謝の気持ちは2つの要素から成り立っているとしました。
- 自分に価値のあるものが与えられたこと
- 自分自身もそれが無償で与えられたのだと気づいたこと
これらは、何らの対価を支払う事もなく、与えられた事に対して、同時に起こる心の動きだと説明されます。
いかがでしょうか。感謝の情とは無償の提供によって沸き起こるもの。もしそうだとすれば、家庭の生活とは、その感謝に溢れてはいないでしょうか。すべての瞬間は大切な贈り物だと考えられはしないでしょうか。
夫や妻、子どもの存在を、当たり前に変えてしまうことなく、感謝を忘れずにいましょう。
ラスト氏は、感謝をすることで、人と人の間に平等な尊敬心を促進すると強調しています。
相手の嬉しがる気持ちを想像しよう
毎日の日々の中に、小さな特別な日を作ろう。そして、特別な日には心を込めた贈り物をしてみよう。ご存知でしょうか?家族の幸せは、パパで決まるのです。
つまり、夫婦仲が良く、妻思いで子煩悩なお父さんなら、その家族は幸せであり、子どもはまっすぐに育つということです。
子どもは、親からの愛情を必要としています。パパとママからの両方の愛情を必要としています。
しかし、「ママが来るまで泣き止まない」なんていう経験をされたこともあると思います。これは、ミルクを飲ませたりする関係からも、子どもは母親との関係を強く持つことが多いためです。ですから、母親は、求められる分だけ愛情を子どもに注がなくてはなりません。その求めは、ときに時間を選ばないこともあります。睡眠が妨げられたりするなど、次第にストレスが溜まっていき、知らずに心が乾いていきます。
もし、父親が妻を愛しているのなら、母親の心はそれで再び満たされるでしょう。そして、満たされた心で再び母親は子供に深い愛情を注ぐことができるのです。
パパは自ら記念日を作りましょう
会社の取引先を接待したり贈答品を送ったりするのはなぜでしょうか。明日の社会のため、志を持って仕事に精を出すのは素晴らしいことです。人の未来に役に立つことこそ、それは真価を持つことになるでしょう。しかし、もしそうであっても、父親が家庭を省みることがなく、持ち帰るのがストレスだけであったとしたら、子どもはそんな父親を誇りに思う事ができるでしょうか。それは、「自分の父親は、家庭と社会の顔は違う」といった両義性を教えるだけにならないでしょうか。
仕事で心身共に疲れているかもしれません。しかし、だからこそ自ら愉しみを作り出してみましょう。家族の喜ぶ顔を思い描いてみましょう。
愛情と笑顔の溢れる空間以上に、疲れが癒されることなどありません。月に一度だけでかまいません。家族の幸せをお祝いしてみましょう。
大切な人を大切にしよう
Google傘下の「Alphabet社」の社訓は「Do the Right Thing(正しい事をやれ)」です。「良い事をやれ」ではなく「正しい事をやれ」です。「RightはGoodに先行します」
正しい事をするとは、誤った事をしないということでもあります。そして、そのマージナル(境界)を問う事こそが、幸せの基盤になるとも言えるでしょう。
人間は所有物ではありません
出会って初めの頃は、きっと、できていたはずです。まだお互いをよく知らなかったあの頃、思いやり溢れる交際を重ねるなかで、お互いの新たな一面を知る度に、それが喜びとなっていたはずです。ひとつだけ大切なことがあります。知ったからといって、所有したことにはなりません。学業などは、自分の知識として知ったことについては、さもそれを所有したかのように思いがちです。しかし、たとえそうして努力して得た知識であっても、それは先人が体系的にまとめた知識の受け売りでしかありません。
知った事とは、所有するものではなく、共有される事なのです。
今あなたは、出会ったばかりの頃よりも、遥かに配偶者の事を知っているはずです。その知識を家族で共有されてみてはいかがでしょうか。
幸せだったことや、好きな仕草、苛ついたこと、大笑いしたこと、他にもたくさんの事があるはずです。
小さな小さな秘密を持ちましょう
すべてをさらけ出してはいけません。それが長続きの秘訣です。「本当はダラダラとしているのが好き。私のことが好きだったら、そんな私だって愛してくれるでしょう?」
それは、言葉上では「好き」と言えるかもしれませんが、しかし、愛とは、尊敬や魅力の上に成り立っているのです。魅力が心から薄れていくたびに、尊敬をすることも、愛することも難しくなっていくのです。
魅力とは、配偶者にとってだけの魅力でかまいません。「君が好きな事、実は、君のために○○をしているんだ」と言えるような小さな秘密を持ちましょう。
小さな秘密は、小さな努力です。それは小さな魅力となり、幸せを育てます。
性を考え、相手への敬意を忘れないでいよう
北欧の国スウェーデンでは、70歳の男女も現役で性生活を愉しんでいるそうです。他方、日本では、夫婦のセックスレスや、若年者のセックスに対する興味の薄さが問題になることがあります。
なぜ北欧ではそのような変わらぬ愛の関係を維持できているのでしょうか。
スウェーデンの方は「セックスをするために必要なものは、相手への敬意だ」と言います。
セックスをする前には必ず「スウェディッシュ・マッサージ」といって、長時間パートナーのからだに触れ、心身をほどいていくことが大切とされます。このマッサージは「オーガズムに達するためには絶対に必要だ」とか「マッサージオイルの香りはチョコレートが一番いい」といった議論が交わされています。
北欧はキリストの国ですから、かつては結婚まではセックスをしてはいけないといった保守的な感覚が強かったのですが、他方で、北欧はリベラルな価値観を持つプロテスタントの国でもあります。フェミニズム運動の盛んだった1960年代から男女同権を実現する政策が一気に進み、それと同時に性教育が充実していったのです。
スウェーデンでは、7歳から性教育が始まり、しっかりとした性の知識を教わります。セックスの意味も、子どもがどこから生まれてくるかも学びます。セックスは「愛する人と行う大切な行為」であり「楽しいこと」だと教えられます。さらに、親と子の間でも性についての話題が普通に話されます。
この国では、セックスは、「演出し洗練させるべき文化」と捉えられているようです。
父親と母親の愛情は、セックスによって満たされます。その愛情が子どもに注がれて、そうして家庭に灯りがともるのです。
まとめ – 幸せな家族になろう
幸せというものを改めて考えてみたとき、どうでしょうか。不幸の形はさまざまです。もし不幸であれば、それに向かう原因を、あなたは選んでしまいました。他方、幸せにもその原因があります。過去にどんな理由があろうとも、幸せを得る事は誰にでもできるはずです。
そのためには、たった今からその考えを改め、行動に移し、それを習慣にして行きさえすればよいのです。そうすることで、愛情とその幸せの方法を子どもに感じてもらい、また受け継いでいってもらう事ができるのです。
そんな幸せのあふれる未来を、あなたの家庭から想い描いてみませんか。
これらは、幸せな家族が実践している相手への自然な思い遣りです。
幸せな家族の秘訣
- パートナーを受け入れよう
- パートナーの良いところを数えよう
- パートナーを尊敬しよう
- 気持ちをきちんと言葉で伝えよう
- 記念日に、パートナーの嬉がる気持ちを想像しよう
- 大切なパートナーを大切にしよう
- パートナーへの敬意を忘れないでいよう
幸せな家族にも、不幸せな家族にも同じように原因があります。
すべては選択の問題です。
しかし、そのためには選択肢が与えられていなければなりません。
この記事が、幸せある人生の選択に幅を与え、読者様の幸せの一介となることができたら幸いに思います。